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福岡家庭裁判所小倉支部 昭和54年(家)2591号 審判

申立人 大田啓

相手方 大田コトエ 外六名

主文

一  被相続人大田正一の遺産を次のとおり分割する。

(1)  別紙第一物件目録記載の一ないし一三の遺産はすべて相手方大田正夫の単独取得とする。

(2)  相手方大田正夫は、申立人大田啓、相手方大田友行に対し、各五四五万五、一四〇円を支払え。

(3)  申立人は別紙第一物件目録記載の一〇、一一の物件につき昭和五二年七月二〇日受付第一六六五号所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

二  本件手続費用中、鑑定人○○○○に支払つた鑑定費用二四万円は、申立人大田啓、相手方大田正夫、同大田友行の平等負担とし、相手方大田正夫、同大田友行は申立人大田啓に対し各八万円を支払え。その余の費用は各自弁とする。

理由

(事件の経緯)

申立人の遺産分割調停申立(当庁昭和五二年(家イ)第四九三号)に基づき、当裁判所調停委員会は昭和五四年六月一一日を第一回期日とし、同年一〇月一五日まで五回にわたり調停を試みたが、合意をうるに至らず調停は不成立となり、本件審判に移行した。

(当事者の主張)

一  申立人の主張

(1)  被相続人大田正一(明治二二年一月一〇日生)は、昭和四四年一一月二六日死亡して相続が開始し、

その相続人は、

妻 相手方大田コトエ

長女 相手方船井マサエ

二女 相手方大森正子

長男 相手方大田正夫

四女 相手方有馬時子

三男 相手方大田友行

五女 相手方大田史子

四男 申立人大田啓

である。

(2)  被相続人の遺産は別紙第一物件目録記載のとおりである。

(3)  ところで、本件遺産については「遺産分割協議書」と題する書面が作成されており、相続人間に遺産分割の協議が成立したかのようになつているが、これは相手方正夫において遺産を全部独り占めにするため当時身持ちのわるかつた相手方友行対策だと嘘を言つて申立人を欺し遺産分割協議書に署名押印させられたものであるから、この分割協議書は無効であり、従つて遺産分割の協議は成立してない。

(4)  申立人は、小学校五年生の時から六年生までの間ならびに大学に在学中は春、夏、冬の休暇に帰省して家業の製パン業の手伝いをし、遺産の維持に寄与したものであるから、本件遺産分割の際は考慮すべきである。

二  相手方正夫の主張

(1)  本件遺産については別紙遺産分割協議書のとおり分割の協議が成立している。この分割協議書について敷衍するに、

(一) 相手方友行は被相続人が相手方友行のために銀行預金してあつた二二五万円を被相続人死亡後の昭和四五年四月七日にこれを受け取つた際、その相続分を相手方正夫に譲渡し、

(二) 申立人はこの協議書の内容にすぐには承諾しなかつたため、種々交渉の結果、別紙第一物件目録記載の一〇、一一の宅地と同目録記載の一二の建物を申立人が取得するということでこの協議書に署名押印し、

(三) 相手方コトエ、同マサエ、同正子、同時子、同史子は、いずれもその相続分を相手方正夫に譲渡したもので、これを書面にしたのが、この遺産分割協議書である。

(2)  仮に、本件遺産分割の協議が有効でないのであれば、相手方正夫は昭和一四年に旧制○○中学を卒業したが、当時の所謂家督相続人となるべき者の立場上家業を継ぐため上級学校にも進学せず、妻幸子と共に家業の米屋やパン屋を手伝い或いは経営してきたものであり、また相手方友行が戦後海軍から復員して身をもちくづし、被相続人に対し不動産を売却してでも金を都合しろと強要する行為に及んだときには、身を呈してこれを阻止し、もつて遺産の維持、減少防止に貢献したものであるから、本件遺産の分割にあたつては以上の点を考慮すべきである。

(判断)

一件記録に基づく当裁判所の事実認定および法律判断の要旨は、以下のとおりである。

一  相続人

被相続人大田正一(明治二二年一月一〇日生)は昭和四四年一一月二六日死亡して相続が開始し、その相続人は申立人の主張するとおりである。

二  遺産分割協議の成否

遺産は後記認定の物件であるが、相手方正夫は本件遺産の分割については相続人間に協議が成立したと主張し、申立人はこれを争うので検討する。

(1)  本件遺産につき相続人全員が合意のうえ分割協議がなされた書面として別紙遺産分割協議書と別紙証明書が提出されている。この分割協議書は昭和四五年三月ころ相手方正夫が司法書士に依頼して作成したもので、その際相手方正夫と相手方友行の共有持分の割合は空白にしたまま、同年四月ころ相手方正夫宅で先づ相手方正夫、同コトエ、同友行が署名押印し、次いで相手方時子、同マサエに対しては相手方正夫が分割協議書を持参して同人らの署名押印を得、最後に相手方正子と申立人に対しては分割協議書を郵送して同人らの署名押印を得たが、当時相手方史子は所在不明のため同人の署名押印を得ることができず、昭和五二年六月ころに至り、別紙証明書に同人の署名押印を得た。そして、相手方正夫は昭和五二年六月ころ司法書士に依頼して前記共有持分の空白部分に「五〇分四九」「五〇分一」と記入せしめて、相手方正夫は五〇分の四九、相手方友行は五〇分の一の割合の共有持分としたものである。

(2)  ところで、前記分割協議書には、後記認定のように、遺産の一部である別紙第一物件目録記載の八、一一の土地と相手方史子を除く他の相続人との間で分割協議書に署名押印がおこなわれていた当時遺産として存在していた別紙第二物件目録記載の家屋五棟については協議の対象物件から脱落しており、これらの物件の分割方法については相続人間に全く協議がなされてない。

遺産が数個存在するとき、その一部分の遺産分割協議も有効になしうるものと解されるが、その場合には相続人間において当該部分と残余部分とを明確に分離したうえ分割するとの合意が存在しなければならない。けだし、そうでなければ適正妥当な分割基準の実現に副わないからである。従つて、この合意を欠く遺産分割の協議は不成立もしくは無効と解すべきである。

これを本件についてみるに、前記認定の事実関係によれば、遺産の大部分を占める物件が協議の対象から脱落していて、これらについて相続人間に協議がなされてないのであるから有効な分割はなされてないとみるべきであり、本件遺産分割協議は不成立もしくは無効とすべきである。

三  相続分

本件では適式の遺言がないので、その相続分は法定相続分により相手方コトエは配偶者として三分の一、その余の相続人は直系卑属として各二一分の二となるところ、相手方コトエ、同マサエ、同正子、同時子、同史子はいずれも被相続人の死亡後自己の相続分を相手方正夫に譲渡し、当裁判所の相手方マサエに対する審問の結果および当裁判所の相手方コトエ、同正子、同史子に対する照会書の回答ならびに相手方時子作成の上申書によれば、その譲渡が真意に出たものであることが認められる。相手方正夫は相手方友行も自己の相続分を相手方正夫に譲渡したと主張するが、これを認めるに足りる資料は存しない。

そうすると、本件各当事者の相続分は相手方正夫が二一分の一七、申立人と相手方友行が各二一分の二となる。

四  遺産の範囲

遺産は別紙第一物件目録記載のとおりであると認定する。なお、本件相続開始時には前記認定の遺産のほか別紙第二物件目録記載の家屋五棟が存在していたが、これらの家屋は、その敷地を有料駐車場にするため、昭和四七年四月ころ相手方正夫が勝手に取り毀して現存しないので、分割の対象とはなりえず、また相手方正夫の供述によると、遺産として布団、食器汁器類が存在するようであるが、個々の物件を特定し難いうえこれらはいずれも無価値に近いものであることが窺われるので、分割の対象として考慮しないこととする。

五  寄与分

(1)  申立人は、前記のとおり、家業の製パン業の手伝いをしてきたので本件遺産の維持に寄与したものであると主張するが、その期間を通算したとしても僅かであり、本件遺産の維持に貢献したと評価するには程遠く、寄与分として考慮できない。

(2)  相手方正夫は、昭和一四年三月に旧制○○中学を卒業したのち、旧制度のもとにおける法定推定家督相続人として、被相続人が死亡するまで通算して約二五年間に亘り被相続人と共に家業の精米販売、種物販売、パンの製造販売等の業務に従事してきたものであり、また最後まで被相続人と生活を共にして被相続人の世話をしたことは相続開始後も本件遺産の土地に居住している利益や昭和四七年ころからこの土地の大部分を有料駐車場にして経済的利益を得ていること等を考慮しても遺産の維持に貢献したものとして寄与は認めなければならない。そしてその寄与分は一〇パーセントと評価するのが相当である。

(3)  その余の相続人については寄与は認められない。

六  特別受益

申立人(昭和一三年一月一五日生)は昭和三六年三月○○大学文学部を卒業したが、学資として合計約六三万六〇〇〇円(月一万二〇〇〇円×四八月=五七万六〇〇〇円(生活費)と年一万五〇〇〇円×四年=六万円(授業料)の合計額)と昭和四二年に婚姻費用として約七万円を被相続人から受けている。

相手方正夫(大正七年一二月三日生)は被相続人の経済的援助により昭和一四年三月旧制○○中学を卒業した。

相手方マサエ(大正二年九月一日生)は旧制○○高等女学校を卒業し、昭和九年に婚姻した。相手方正子(大正四年一一月一二日生)は旧制○○○○女学校を卒業し、昭和一二年に婚姻した(婚姻の届出は昭和一六年である)。両者とも婚姻に際し被相続人から充分な嫁入仕度を受け、現在の金額に評価すれば五〇〇万円か六〇〇万円相当のものを得たようである。

相手方時子(大正一三年二月一三日生)は旧制○○高等女学校を卒業し、最初の婚姻は一年位で離婚し、昭和二二年に再婚したが、終戦後のことで経済事情がわるいころであつたので、充分な嫁入仕度はしてもらつてない。

相手方友行(昭和三年一月一〇日生)は被相続人が生前に相手方友行のために銀行預金してあつた二二五万円の贈与をうけている。

相手方史子(昭和六年一月三日生)は旧制○○高等女学校を卒業し、昭和二九年に婚姻したが、被相続人の経済事情がわるかつたので嫁入仕度金は少なかつたようで、このことを気にしていた被相続人は生前相手方史子に北九州市八幡西区○○×丁目×××番宅地二二二・一一平方メートルと同地上の建物一棟(これらは当時の価格で二〇〇万円相当のものである)を贈与した。

さて叙上のように、被相続人の配偶者である相手方コトエを除くその余の相続人は被相続人から教育のための学資、婚姻費用等の経済的援助を受けており、その額の程度に多少の差異があるようであるが、これらは被相続人が生前その時の経済力に応じて父親としての愛情に基づき配慮したもののように窺われるので通常の扶養の延長としてこれに準ずるものとみるのが相当であり、特別受益として遺産の額に加算しないこととした。

七  遺産の価額

鑑定人○○○○作成の昭和五六年三月二五日付鑑定評価書によれば、遺産である別紙第一物件目録記載の一ないし九の宅地の評価額は五、六一四万六、六〇〇円、一〇、一一の宅地のそれは六二五万五、〇〇〇円、一二の建物のそれは一二四万一、七〇〇円で、その総額は六、三六四万三、三〇〇円であり、その評価額を相当と認める。なお、同目録記載の一三の建物は、検証の結果によれば、昭和三七年ころ建築されたもので、現在相手方コトエが住居として使用しているが、すでに老朽化している状態で、いずれ取りこわして解体するほかないものと認められ、本件各当事者も全く関心をいだいていないことが窺われるので、その価額を零と算定した。

八  分割

相手方正夫は昭和四七年四月ころ遺産の一部である別紙第一物件目録記載の四、六の宅地上に木造瓦葺二階建居宅を建てて生活の本拠としているほか同物件目録記載のその余の不動産を管理してきており、分割の方法として、申立人に対しては昭和一二年ころから戸部末男が賃借している同物件目録記載の一〇ないし一二の宅地と建物を取得させたいとの意向を有している。

申立人は、現在東京都内にある図書関係の会社に勤務しており、北九州市に帰住する意思は全くない。分割の方法としては結局のところ金銭で代償取得することを希望し、相手方正夫の提案する分割方法に対しては他人に賃貸してある不良物件であることを理由にこれを拒否している。

相手方友行はその所在が不明である。

よつて、当裁判所は叙上認定の一切の事情を考慮したうえ、別紙第一物件目録記載の一ないし一三の遺産のすべてを相手方正夫の単独取得とし、相手方正夫は遺産全部を取得する代償として、申立人および相手方友行に対し、遺産評価額から叙上認定の相手方正夫の寄与分一〇パーセントを控除した価額に各自の法定相続分を乗じた金額を支払うべきものとする。然るときは相手方正夫が申立人および相手方友行に支払うべき金額は主文一項の(2)のとおりである。

(63,643,300円-6,364,330円)×2/21 = 5,455,140円)

そして、別紙第一物件目録記載の一〇、一一の物件は相続開始時に遡つて相手方正夫の所有に属したこととなり、その上に存する主文一項の(3)記載の登記は実体に符合しないものとなるから、申立人においてこれが抹消登記手続をなすべきものとなり、同人に対しその抹消登記手続をなすことを命ずることとする。

なお、鑑定費用二四万円は申立人において立替えているが、これについては主文二項のとおり負担せしめ、その余の費用は各自弁とする。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 宮城京一)

別紙 遺産分割協議書〈省略〉

証明書〈省略〉

物件目録〈省略〉

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